本踊りのルーツについて

長崎内町にあった博多町(現興善町付近)は博多商人が進出して作った町でしたが、

博多方面よりの移住者がふえ慶長年間(1596-1615)には更に新しく博多町が外町の地域にも作られましたので、

従来の博多町を本博多町といい、新しく作られた町を今博多町といいました。

 今博多町と隣町の古町の地域は寛永年間(1642-1644)まで、遊芸をよくする女達が多く住んでいた処と記してあります。

その故に寛永11年(1634)諏訪社で最初の「長崎くんち」奉納踊が行われました際、

踊を奉仕したのはこの地域の人であったとされています。

 この由緒をふまえて、今博多町の傘鉾の飾には諏訪社の神域をあらわす御幣と榊を中心におき、

その前に神楽を奉納する意をこめて釣太鼓が配されています。

垂れも同町が踊を奉仕した故事に因んで亀甲鶴文染出の布地を几帳型に仕上げています。

同町の奉納踊には吉例により「くんち」に本来奉納されていたという「本踊」を代々奉納してきました。

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